それは多くの人間に安定をもたらした
私はもともと学校を出てそのまま2年ほどフリーランスをしていたこともあり、初めてサラリーマンになったときは、そのシステムにとてつもない感動を覚えました。
会社に行くだけで、毎月決まった額の金がもらえる!と。
2回目の給料が出るまで、ほんとに毎月決まった額のお金がもらえることが信じられませんでした。
さらには、日本であれば犯罪行為を犯すか、会社に不利益をもたらさない限りなかなかクビに出来ないという労働者保護システム。各種社会保険。そして(出るところであれば)ボーナス。会社に行きさえすればもらったお金(いわゆるサラリー)でご飯を食べられるし、会社休んでもお金もらえるし、なんなら休めと言われるし。
1920年代にその基本形が整備されたとされる、このサラリーマンという生産形態はその後すっかり日本に定着し、今も労働者の多くがこの枠の中に組み込まれて、安定した雇用と秩序をもたらしています。
アインシュタインは人類最大の発明は「複利」だと言ったようですが、世の中への浸透度合いと貢献度を考えると「サラリーマン」なのではないでしょうか。
これで、雇用主との間に信頼関係があればもっと幸せなことなんでしょうが、サラリーマンの会社に対しての帰属意識は年々下がり続けているようで、2018年には「会社に対する忠誠心がある」と答えた人の割合は、調査開始以来最低の26.8%となっています。(出典:博報堂生活総研「生活定点」調査)
男としての自由と、中産階級的希望なき安定
これは、故・谷口ジロー氏と関川夏央氏による名著『事件屋稼業』の中に出てくる一節なのですが、主人公の私立探偵・深町丈太郎が、サラリーマンへのあこがれを含みつつ、生き死に背中合わせの探偵稼業で生きていくという信念が、ユーモラスな「やせ我慢」として表現されています。
主人公の深町は1948年生まれの団塊世代で、探偵のような「男としての自由」を求める生き方は、憧憬とともに自嘲の対象でもあったのかもしれません。
団塊世代が現役だったころ「希望は無いけど安定は得られる」はずだったサラリーマンは、今や「希望は無いし安定もある程度しか保証されない」イメージが定着しつつあります。
日本でサラリーマンをすることは、基本的に生活基盤を特定企業に強く依存することになります。そんな中「希望は無いし安定もある程度しか保証されない」会社に対して忠誠心を持つことの方が不自然でしょう。
しかし、今のところはまだサラリーマンは生産手段として「良い選択肢」の一つであり、会社への忠誠心がなかろうが、とりあえず出社すればお金をもらえる人類最大の発明であることに変わりはないのではないでしょうか。