宮本武蔵が晩年に記した著書『五輪書』にこうあります。
二十一歳にして都に上り、天下の兵法者にあひ数度の勝負をけっすすといへども、勝利を得ざるといふ事なし。其後国々所々に至り、諸流の兵法者に行合ひ 六十余度迄勝負をなすといへども、一度も其利をうしなはず。
つまり、21歳で都に上ってから生涯にわたり60数回の文字通りの真剣勝負を行い、一度も負ける(利を失う)ことは無かったと。
これには2つの見方があると思います。
一つは武蔵の超人的な強さと、その偉業をたたえる見方。
もう一つは、『絶対に勝てる試合しかしなかった』という見方です。
いずれにせよ、60数回の真剣勝負を生き抜いて来たわけですから、宮本武蔵の強さには何ら疑いは無いのですが、この試合というのはもちろん「死合」で、負けはほとんどの場合は死を意味します。その中で勝ち続けるというのは容易なことではありません。本人の実力もさることながら、様々な要因や運によって勝負の行方が左右されることも多々あるでしょうし、ましてやお互い平等な条件の上で勝負できる事はほぼ無く、1対多数の対決であったり、不本意な状況の中で戦わざるを得ない場合も出てきたことと思われます。
だけど負けなかった(死ななかった)のはなぜか?
それはやはり、絶対に勝てる試合をするために「自分を不利な状況におかない」ための戦略を常に立て、実行してきたからではないでしょうか。
それなりの実力者同志が戦うわけですから負けずに勝ち続ける事は至難の業で、1対1の勝負を行う将棋で7冠を独占した全盛期の羽生善治でさえ1995年のキャリア最高勝率で0.8364(46勝9敗)となっており、55戦中9回は負けています。そして羽生氏と宮本武蔵を比較したときに決定的に違う条件があります。それは「勝負を降りる事ができる場合もある」ことです。
企画コンペはほとんどの場合他に複数の競争相手がいる中で、勝ちをおさめなくてはいけません。単純に実力が拮抗している4社が参加する状態であれば、勝つ確率は25%です。
負けても死ぬことは有りませんが、プレゼンまでに要した、時間や労力が無駄になってしまうことも少なくありません。(プレゼン用に集めた資料が他のプロジェクトに活用できることはあります)
付き合い上、勝ちの目が無くてもどうしても参加しなければいけないことはあるかもしれませんが、皆さんにはほとんどの場合には「勝負を降りる」という選択肢が付与されているはずです。
どうやっても予算が見合わないものや、今後の資産にならないもの、主催者がろくすっぽ下見積も取らずにやりたいことを盛り込みまくったものなどはもちろん端から参加せず、「競合他社が裏でネゴしているもの」「出来レース」「クライアント担当者がどうしようもない奴で、取れてもかなりの苦労が予想される」などの情報をしっかりと収集し、「勝負を降りる」という選択で出来るようになりたいものです。