多くのイベント業従事者に突き付けられた「イベントは世の中に必要なのか?」というテーマ

現在の状況で改めて考える“イベントの必要性”

2020年に入って世界中に拡大していった新型コロナウイルスによって、2月から7月にかけて大型のイベントは軒並み中止を余儀なくされ、イベント業界は壊滅的な打撃を受けました。

8月以降徐々にイベントが再開されつつありますが、今後もいつ感染が拡大するか予断を許さない状況であり、しばらくは政府が発表した行動指針である「新しい生活様式」に基づき、十分な感染症対策をしたうえでのイベント運営を行わなくてはいけません。

この状況はしばらく続くでしょうし、ある程度落ち着いたとしても、いわゆる「アフターコロナのニューノーマル」と言われるコロナ後の新常態では、人々の意識とともにイベントの形は大きく変わっているかもしれません。(これは「イベントデジタルシフトについて考える」という記事にまとめましたのでよろしければそちらもご覧ください。)

今回の危機に直面して突きつけられたのは、イベント(企業や自治体主導のリアルでのプロモーションイベント)が無くなっても困るのは基本的にイベント関係者のみで、多くの人にとってイベントは世の中にあっても無くてもいいものだ、という現実です。

もちろん文化的・経済的な側面から考えれば、あるに越したことはないのでしょうが、ごく普通の人々はイベントが無くなっても死ぬことはないし、リアルイベントが無ければ無いでオンラインで代替すればいいし、他の娯楽や情報収集手段はいくらでも世の中にあふれています。

世の中に必要なものなのか。

私はイベント・広告業界に身を置いて15年ほどになります。今回のコロナ禍によってできた暇な時間によって、いや応なしに自分の仕事についていろいろと考えさせられたのですが、結局のところイベント業は『不確か』なものだなという結論に行き着きました。

『不確か』とはどういう意味か?プロモーションイベントは基本的に、ごく限られた人々と密なコミュニケーションをとるという種類の広告手法であり、基本的に我々の仕事はそこまでになります。そのため、そのコミュニケーションにおいてもたらされる結果(たとえば商品が〇個売れた)については、責任を取らないというのが基本的なスタンスです。(もちろんあまりに目標値から下回れば、契約を切られるなどのペナルティはありますが。)

つまり、イベントプロダクションは「これをやったら、良くなるかもしれません。どうなるかは分かりませんけど。」という、最終的な結果に関与しないポジションの業態だということです。

似たような話を、不動産投資コンサルタントの長谷川高さんが過去にブログに書いていたのですが、リクルート創業者の故・江副さんがなぜあれほど不動産に執着したのか(それこそ逮捕されちゃうほど)、彼に近しい人物の話として「彼はリクルートの事業を『虚業』と思っていた」とあります。いつか誰かに真似されて廃れていく。だから『確かなもの』といえる不動産を残しておきたかったと。

イベントや広告は『虚業』なのかと聞かれれば、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれませんが、実際15年近くも飯が食たので「コロナ前の世界」では、それなりに世の中で必要としている人がいたという事でしょう。そして、多分広告やイベント業が好きで従事している人たちの多くはその『不確か』さがそのまま仕事の魅力になっているのだと思います。

必要なものと、不必要なものに分けられる

今後のコロナ禍終息後の「ニューノーマル」がどのような常態となるのかは、まだわかりませんが、金がかかる上にリスクが高いリアルイベントの在り方についての考え方は徐々に更新されていくと思われます。

仮に今後のデジタルシフトによって、イベントの二分化「リアルで行う価値があるイベント」と「オンラインなどの非リアルで十分な満足が得られるイベント」の方向への分割が進むとして、いずれにせよどちらも『確かさ』が多少なりとも必要になってくるのではないでしょうか。

前者であれば、『リアルで行う価値に見合ったリターン』を参加者も主催者もより強く求めるでしょうし、後者であればイベントの『ファジーだった部分がデジタルによって、可視化・数値化される』という流れになるでしょう。

現時点で、まだコロナの収束は見えませんが、今後イベント業が「必要なもの」となるためには、業界従事者の意識が『確かな』ものに、変わっていかなくてはいけないかもしれません。