さほど深い歴史は無いけど『伝統的なもの風』と認識されてるコンテンツの正体を考える

イベントでよく出会う『伝統的なもの風』コンテンツへの違和感

自治体主催のイベントなどを行うと、かなりの頻度で「○○祭りの○○踊り」などのその地域に昔から伝えられてきた「伝統芸能」や「伝統文化」を紹介する機会があります。

私としても、そのような地域の方々が伝承してきた風習や文化・祭事などは、是非後世にも残してほしいですし、積極的に紹介・発表の場所を作りたいと考えています。

しかし、たまにではありますが、明らかにここ最近(20年以内くらいで)成立したものであったり、成立の経緯がよく分からないものを『伝統的なもの風』に喧伝しているコンテンツに出会うことがあり、そのたびにちょっとした違和感を覚えつつ『伝統的』とは一体なんなんだろうと考えるようになりました。

中でも、私が特に気になるのは以下2つの系統のものです。

1つ目 謎の祭りや芸能系コンテンツ

地域のPRイベントを行う場合、その地方の独自性を出せるプログラムとして「地域の祭りや風習、踊りなどの芸能」を盛り込むことがよくありますが。地域にそのような伝統的な祭りや芸能が無い場合に、地元の有志や商工会などが勝手に作ってしまうことがあります。

もちろん、まったく適当なものをでっち上げるのではなく、いくらか伝承が残っていたりするものをベースに独自の解釈を加え仕上げたものもの多く、完全にデタラメなものとも言えないコンテンツになっています。

2つ目 謎の風習やマナー系コンテンツ

「おばあちゃんから教わった、私の地元で昔から伝わる〇〇」のようなものの中でも、エビデンスに乏しく恣意的に特定の思想へ誘導しようとする臭いを感じるものです。そして、たいがいその風習やマナーの提唱者は善意のもと普及を行っており、それが『伝統的なもの風』感をより増加させます。

2つのコンテンツに共通するのは、民衆にとって『特に不利益を被る内容ではないし、その歴史的経緯の正確性は自分にとってあまり関係がないので、“本当に伝統的なものなのか”は正直気にしない』ということです。

いずれも、発信方の情報を受け手側が許容している状態が成立しているため、とくに私たち制作側としても無理にコンテンツの瑕疵を掘り起こそうとはしませんし、ましてクライアントにやれと言われれば基本はやります。

そういった一連の状況が『伝統的なもの風』コンテンツへの違和感となってにじみ出てくるのです。

伝統的』ってどうゆうこと?

ではそもそも「伝統」「伝統的」ってどうゆう意味なんでしょう。辞書では、

でんとうてき

(形動)古くから受け継がれ伝えられているさま。

出典:三省堂 大辞林 第三版

となってます。しかし説明にある“古くから”に関しては、具体的にそれがどの程度の年月を経たものならそう言えるのか、はっきりと示されておらず、発信側と受け手側の“古い”の感じ方次第と言えます。

つまり、コンテンツホルダーが発信する「伝統」と、受け手側が感じる「伝統」について齟齬が生じず合意形成されれば、それは『伝統的』であるという事になります。

私が『伝統的なもの風』コンテンツについて抱く違和感の正体はこれで、特段古くから伝承されているわけでもなく、その起源や成り立ちに関して歴史的根拠に乏しいコンテンツを善意または未必の故意の元、伝統的なものであると喧伝し、多くの人々から共感や合意を得てしまうというものでした。私はこの状況における受け手側の特性を勝手に『伝統性バイアス』と命名しました。

なお、多くの人にとって「伝統的」かどうかは、さほど重要なことではないことに加え、専門家からすれば反論・検証しても学問的業績にもならず面倒なため、大きな問題が出ない限りは誰も損をしないという状況となっています。

ですので、『伝統的なもの風』コンテンツは今後も残り続け、いつしか本当の伝統になっていくのではないでしょうか。

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